10月のドイツ日記

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ハロウィーン(10月第5週)
しまった。たった一度のチャンスを逃してしまった。10月31日はハロウィーンだったのだ。それは知ってはいたのに、妻は日本の知り合いにいろいろ聞いて、小さなチョコレートをそれなりに用意していたのに...

 我が家で夕飯を食べていると、ドアベルを断続的に短く鳴らす音が何回かしたのだ。つい数日前に、マンションの玄関のベルを押しては走り去っていく子どもたちを見たせいで、きっとこれもいたずらだ、と思ってしまった。ほんとに困るよね、とかなんとか言っていると、マンションの階段をはげしく上り下りする音もする。子どもの声が響いている。あれれ、これはもしかしてハロウィーンてやつで、「お菓子を出すか、いたずらか!」とかいいながら子どもたちが近所の家をまわっているんじゃないか? よし、今度ドアベルが鳴ったら思い切ってドアを開けてチョコをあげてみよう、記念写真も撮ろう(かぼちゃをかぶってくるはずだからね)、と思ってドアののぞき穴から階段のほうを見ていると、すごい勢いで階段を下りていく子どもたちが5人ほど見えた。もう回り終わって帰るところのようだった。残念、我が家にはよってもらえなかった...

 だいぶたってから、表の道路の方で子どもの声がするのでベランダから見てみると、かぼちゃのようなダンボールのようなものをかぶった、ちょっとカネゴンみたいなかたちの子どもが歩道で何かしている。ゲットしたお菓子を友達同士で分けたり交換したりしていたみたい。写真を撮りに降りていく勇気は出ず。

 アメリカで、ハロウィーンの仮装をしていて日本人留学生が銃で撃たれてしまった事件が以前あった。ハロウィーン強盗っていうのは実際にいるのだろう。やっぱりかぼちゃかぶった知らない人がドアの前に立っていたら、ドアを開けてはいけないかもしれない。都市部では昔ながらのコミュニティの行事はもうないんじゃないかな、と思っていたけれど、ここフランクフルトでは「子どもたちの世界」はまだまだ残っているのかもしれない。



留学生活(10月第4週)


7月末に日本を発ってはや3ヶ月。丸1年の滞在の予定なので、ちょうど1/4が経過した計算になります。いったい留学先で前原は何をしているのか?という声はどこからも聞こえてきませんが、ちょっと日常の生活リズムを報告してみたいと思います。

 今日は6時半ころ起床。ほかの家族はもう起きていた。昨晩、長女の宿題に関係するらしいレクラム文庫(岩波文庫のモデルとして知られているやつですね)のよくわからん本の1章の要約を作るので遅くなってしまい、眠い。7時15分に長女は登校、8時に長男も登校。一緒に学校まで行くのが日課。もどってから洗濯の手伝い。

 9時45分に家を出る。僕の当面の研究活動は校長先生インタビュー。電話でアポをとって学校を訪ね、40分くらいインタビューするのだ。今日はフランクフルトのわりと高級住宅街っぽいところにある実業系の中等学校で、11時からの予定。地理に不安があるので早めに着いて近くで時間調整。今日は10時半に到着、近くの散歩道沿いのベンチでインタビュー内容の復習など。

 11時に校長室へ。でもまだ授業中で戻ってないので待っててくださいと言われる。ドイツでは校長も必ず授業を持っているのだ。あれれ、11時ってもしかしたら聞き間違いかも、と思いつつ待つ。15分くらいに授業が終わったみたいだったけど、みんないろいろバタバタしていて、校長室へ通してもらったのは11時半くらい。ボタンダウンのシャツにレジメンタルタイのアイビー調、若々しい校長先生です(でも61歳っていっていた)。今日は話が盛り上がり、約45分のインタビューのあと「コーヒー飲みますか?」って聞かれてさらに15分ほど関連する雑談(雑談は僕にはまだまだ難しい面があるんですが、今日はわれながら頑張った)。

 いまお世話になっている研究所についたのは1時15分ころ。お弁当食べて、メールチェックなどをして、今日のインタビューのまとめを作って、3時には研究所を出る。研究所では僕は何の義務もないので、いつ行っていつ帰ってもいいのだ。3時40分に家に着き、一休みしてから長男と遊ぶ。住まいの裏手の専用遊び場みたいなところでサッカー&キャッチボールなど。6時くらいに夕飯、そして風呂、さらに子どもの相手などして8時に長男、9時には長女がおやすみ。明日の予定など確かめて、少しだけインタビューの準備をして、就寝。

 長男のサッカークラブの練習日には、夕方4時半くらいから一緒にグラウンドへ。午前中にインタビューの予定がない日はたいてい妻と一緒に買い物に行く。なんだか楽そうですね、って言われそう。楽なのかどうかよくわからないけれど、とにかく生活の基盤をきちんとキープするのに相当のエネルギーが必要だ、というのが実感。もちろん僕の都合で家族を連れてきているのでそれは当然ですが、日本にいればほっておいていいことが、ここではほっとけないってことですね。

 海外転勤で来ている会社員の人はフルに仕事だろうし、家族はきっとものすごく大変なのだろう。それはさておき、実はよくわからないのが海外研修に行く研究者の研究的生活の実際。というわけで、次回は(たぶん)海外研修の意義と実際について3ヶ月たった時点での総括を。



私の詩(10月第3週)


美しいこの大地に
星の世界のような故郷
おまえに私が贈る言葉
おまえにもいつか愛する故郷ができるだろう
おまえがどんな故郷を持とうとも
私はそれを愛するだろう
決して失われることのない故郷
心を許すところ、そこがおまえの故郷

(H.v.Kuegelgen、拙訳)

 自由ヴァルドルフ学校で最初の日から気になっていたことがある。何人かの生徒が一人ずつ教室の前に呼び出されて、何かを暗誦させられているのだ。ドイツ語の授業の課題か何かかと思っていたら、実はそれは詩の暗誦で、先生のお話では、先生が一人一人にあった詩句を選んで生徒に与えて、それを暗誦するのだそうだ。一人一人の個性、気質にみあった詩を選ぶんですよ、娘さんにも秋休みが終わったら選んであげましょうか、と言われていたのだ。で、先生からいただいた詩句がこれ。詩的言語になじみはないし、あんまりよくわからないんだけど、とりあえず訳してみた。

 先生は、いったいどれほどのストックの中から詩句を選ぶんだろう。詩集を読む習慣がなく、ほとんど一編の詩も記憶していない僕には想像もできない。マニュアル本とかあったりするのかな。なさそうだな。誰かが自分だけのために詩を選んでくれるって、どういう気持ちなんだろう? 

 ここで僕が思い出したのは、『小説家をみつけたら』っていう映画。アメリカには(たぶん欧米どこにでも)文章のうまさそれ自体を評価する尺度があるのかあ、というのが僕の感想。そういう意味での文章力をつけるために、古今の詩句、章句を暗誦する必要があるらしい。そしてそれらをさりげなくちりばめて、「名文」を書くのだ。日本でいえば、平安・鎌倉時代みたいだ。みのひとつだになきぞかなしき、なんてね。



クラブライフ(10月第3週)


サッカークラブ、テニスクラブ、体操クラブ、などなどいろいろな団体(公益団体というカテゴリーらしい)がドイツにはたくさんある。もちろん日本にもクラブはたくさんあるんだろう。こちらのクラブの大きな特徴は、それぞれのクラブが(ほぼ)必ず、敷地内に「飲み屋」を抱えていることだ。正確には、「飲み屋」がサッカークラブやテニスクラブを運営していると言った方がいいのかもしれない。

 そいういわけで、長男のSV Heddernheim にも飲み屋がある。クラブの会計も飲み屋の会計も同じみたいに見える。コーチとか、もう成人している選手とかは、練習や試合の後に必ずここで1杯やるんだろう。ときどきパーティーみたいなものもあるようだ。

 このところ何回か、日曜日にクラブの正チームの試合を見にクラブのグラウンドに長男と行った。テレビのない我が家にあっては、大人のサッカーを見る絶好の機会なのだ。客観的に言えば、ただのおじさんたちの草サッカーなんだろうけど、結構見にきている人がいる。クラブハウスでビールを買って、ぐびぐび飲みながらみている人もいるし、試合など見ないでビールを飲んでおしゃべりしている人もいる。う、う、うらやましい、と思うのは僕だけではあるまい。

 たぶんサッカー(やテニスや体操)が好きでクラブに入っている人ばかりではないんだろう。それをとりあえずの絆として、夕方や休日に楽しくビールを飲んでおしゃべりする場としてこういう地域のクラブは存在している。知識としてそういうことはわかっていて、そして日本では決してそれをもつことができないということもわかっている。こう考えてくると、だんだんうらやましくない気分になってくる。普通、人は自分には絶対手に入らないものをうらやましく思ったりはしないから。



歴史のエポック


さて久々に自由ヴァルドルフ学校の授業のことなど。8月、新学期最初のいわゆるエポックが「遠近法」だったことはすでに書いた。その次のエポックは歴史、内容は新航路、新大陸の発見あたりで、エポック・ノートの見出しでいうと「発見者たち」ってな感じ。

 たまたま一日だけ長女の教室の見学に行ったとき(9月)、扱っていたのはマルチン・ベーハイムとかいう貿易商の話。コロンブスとバスコ・ダ・ガマとマルコ・ポーロくらいしかしらない僕には(ドイツ語がわからないせいもあるけど)さっぱりわからない。だけど、授業の進み方はわかったし、これがちょっと面白い。

 ヴァルドルフ学校の授業はすべて教科書は使わない。この「発見者たち」の授業でも、なんとなく始まったなあ、と思っていると、先生が(たぶん十分な下調べに基づいて)このベーハイムさんの生い立ちとか、商売とか、結婚とか、その相手の家柄とか、そんなことを「お話」していくのだ。生徒は興味を持って、あるいは無関心に、そのお話を聞いている。ノートをとるなんてことはここではご法度。で、お話に一区切りつくと、みんなやおらエポック・ノートを取り出して、いま聞いたお話を自分なりに書き綴っていくのだ。この日は貿易船の絵も描いていた。その中には、僕にはほとんど無意味に感じられる年号や出来事もたくさん出てきて、そして近代史的に重要な事柄も(たぶん)でてくるのだろう。

 長女にはこの作業は不可能(^^; 隣の子のエポックノートを写して、それを時々僕が日本語に訳す、っていう感じ。あるとき訳した部分は、コロンブス(?)の航海日誌のようだった。西インド諸島の島に上陸したときの、島民との関係とか日々の出来事とか闘いとかが書かれていた。それがどうした、って言われると困るんだけど、歴史の教科書は好きじゃなくても歴史の資料集は大好きだったりした人には、こういう授業は面白いに違いない。

 こういう歴史教育の構成の仕方を方法的個人主義って言うのかな(よく知らない)。あえて言えば、四国松山の二人の兄弟とその仲間たちの生い立ちから始まって明治日本の歴史を描く、あの『坂の上の雲』を読んでいるような感じに近いなと思った。歴史って、なんのために学ぶんだろう。社会に対する見方、人間生活に対する考え方を養う基礎として、「歴史の見方」「歴史観」を学ぶためであって、決して個々の事実の記憶と再生のためではない、などと講義ではしゃべったこともあるんだけど。ますますよくわからない。

*なおここでの司馬遼太郎への言及は、いわゆる司馬史観とか自由主義史観とか「新しい歴史教育」とかいうものへのコミットを一切含むものではありません。念のため。



算数のエポック(10月第3週)


今度は算数。もう7年生(日本の中1)だから数学でもいいんだけど、内容が算数のようなので、算数のエポック。

 いまやっているのは掛け算の九九。こちらには「大九九」と「小九九」があって、「大」の方は11×1から20×10までが入るのだ。長女の報告によると、数が大きい段では答えだけど次々に言っていく形らしい。11の段だったら、11、22、33、44、、、110ってな感じか。20の段まであるのはすごいなと(一応)思うけれど、しかし中1だぞ。大丈夫なのか?っていうのが日本人の普通の反応だろう。

 さて昨日のエポックでは、本当は長女は縄跳びを飛びながら、そのリズムにあわせて、「小九九」をドイツ語で言うことになっていたらしいのだが、それはなかったそうだ。その代わりに(っていうのかどうか...)長女が日本語で九九をいっていき、クラスのみんながそれを復唱したそうだ(もちろん日本語で)。ニニンガシ、ニサンガロク、ニシガハチ、、、。

 そして次の日、いよいよ縄跳びをしながら九九を言ったらしい。長女はいまだほとんどドイツ語を話せないが、どうやら数だけは言えるようになってきていて、12の段(?)を無事いえたそうだ。長女の感想としては、みんな縄跳びが下手で、10回つっかえて、そのたびに答えを言っているような子もいたらしく、それじゃ普通に言うのと同じじゃん、ってなところのようだ。

 12歳で掛け算九九。それでいったいどうしようっていうんだ、とせっかちに聞きたくなった人は、まだまだ自由ヴァルドルフ学校に染まっていない人。染まりたければ、いますぐ、縄跳びしながら九九をはじめから言ってみなさい!



オクトーバーフェスト(10月第1週)


10月前半の2週間、こちらの学校は秋休み。夏は暑くて勉強にならないから休み、秋は一年で一番気候がいいからという理由で休み。僕の当面の研究計画は、学校訪問のアポを取って、校長先生にインタビューすることなので、これも秋休みの間はお休み。というわけで、バイエルン・ミュンヘン方面へ2泊3日で旅行に行った。目玉は世界で一番美しい城と言われるノイシュヴァンシュタイン城と、ミュンヘンの誇る世界一のビール祭り、オクトーバーフェスト。

 旅行の顛末は割愛するとして、なんといってもオクトーバーフェストだ。ミュンヘン中央駅から地下鉄で一駅のところが会場なのだけれど、平日の昼間なのに電車が満員。それがみんなその駅で降りる。そして駅前の会場までの混雑は、地下鉄後楽園から東京ドームまでのよう、というか、舞浜からディズニーランドまでのよう、というか、とにかくそんな感じ。みんなビールが好きなんだ、きっと。

 混雑なれしている日本人としては、とにかくいい場所を確保しなくちゃ、お昼だからな、とか思いながら進むと、不思議なことにすぐに混雑は解消。あれ、あんなにいた酔っ払い未満の人たちはどこに行ったのか。要するに会場が広いのだ。すごく、広いのだ。ガイドで見る限りでは、てっきり仮設テントみたいなのが連なって会場になっているのかと思っていたが、違う。だだっ広い会場ひろばは幅10メートルないし20メートルくらいの道で区画されて、ビールメーカー各社のたてる、学校の体育館4つ分くらいの大きさのビアホールが10軒くらいあって、その周辺と間を数限りない屋台と遊園地的な出店と、そしてサマーランドもびっくりのアトラクションが埋める。ジェットコースターだけでみても、どれにのろうか迷うほどいくつもあるのだ。父ちゃんはビールで酔っ払い、子どもはジェットコースターで酔っ払う、というコンセプトに違いない。

 僕らが入ったのは、日本でもおなじみのレーベンブロイのビアホール。ビールジョッキは全部1リットル。小さいのはない。オレンジジュースとかは、1リットルジョッキに半分入れて持ってくる。家族の手前、1杯しか飲めなかったのが少々心残りではあるものの、まあ満足。おまけにやっぱり安いんだよね、ビールが。1リットルジョッキで13マルクくらい、ってことは700円くらいか。日本のビール園の半額といってよいだろう。うーん。

オクトーバーフェスト オクトーバーフェスト

 オクトーバーフェストは2週間。あとは更地にもどすらしい(ほんとかな?)。だからこそ、の賑わいとも言えるけれど、でもふだんの日常の暮らしの中でも、ビールを楽しむ姿をよく見かけるのだ。これについてはまた改めて。

 あとでラジオのニュースで聞いたら(僕の聞き違いでなければ)、今年はオクトーバーフェストの人出がかなり少なかったらしい。もちろんNYテロの影響だ、ということのようだ。ビールが飲めて今日も幸せ、なあんていうのはやっぱり平和ボケなんでしょうか。

 

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