9月のドイツ日記

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ドイツの誕生会(9月第4週つづき)
 お誕生会。いやな響きだ。なぜって、それを書き出すと一日や二日では終わらない長い話になってしまう。

 さてさて、長女菜摘がクラスメートのお誕生会に誘われてしまった。必ずしも仲良くなりきった、というわけでもない子からのお誘いのようだったけれど、せっかく誘ってくれたのだし、あるいはクラス全員を誘っているのかもしれないし、貴重な経験だから行ってみれば、というわけで、行くことになった。この企画が豪快。前述の聖ミカエル祭のあと、そのまま学校脇の駐車場に集合、寝袋持参、解散は翌日のお昼前。よく聞き取れなかったんだけど、州の公的な宿泊施設のようなところに泊まるらしい。男の子ももちろん一緒。雑魚寝ってやつだ。

 翌日、長女はかなりご機嫌で帰ってきた。楽しかったらしい。でも『13日の金曜日』みたいな映画ビデオを見てから、真っ暗な中を肝試しにいくなんて、僕ならいやだな。途中で脅かす役をやるのもいやだし。プレゼント云々をめぐっては多少の紆余曲折もあったけど、ここでは省略。逆に誕生日の子がみんなにちょっとしたお菓子とかを配ったりもするようだった。上棟式の建前みたいなものかな。

 ふむふむ、そういう誕生会ならあってもいいのかもしれない、と思った。誕生日を理由として、みんなで集まって騒いで盛り上がるような誕生会。でも日本だとどうだろうか。少なくとも中学生までは、それは難しそうな気がする。なぜかっていうと......これまた一日や二日で終わらなくなるので割愛。



オイリュトミーは二郎さん?(9月第4週)


 自由ヴァルドルフ学校のカリキュラムの中でひときわ僕らの目を惹く「オイリュトミー」。体操ではなく、創作ダンスでもなく、バレエのようでもあり手旗信号のよう(?)でもあるらしい、その実態は何なのか。ついにそれを体験するチャンスがきた(といってもやったのは僕ではなく妻なんだけど)。

 9月22日(土)は自由ヴァルドルフ学校の聖ミカエル祭。ホールでのいくつかの出しものにつづいて、日本の学校で言うと学園祭のようなものだろうか(ちょっとちがうけど)生徒がクラスごとにお店を出して、先生方はそれぞれに親を対象とした「一日教室」みたいなものをやるらしい。我が長女はぼけていて、前日の土曜日になって「私たちのクラスは何をするんだろう?」とか言っている。当日、知り合いのお母さんに聞くと、どうやらジャガイモをゆでて売るらしい。娘にそういうと、「あ、そういえば昨日たくさんジャガイモ洗ったんだ。どうしてかなって思ってたんだけど!」ってな調子。嗚呼。

 僕と長男は、最初のホールでのいくつかのクラスの演奏や群読(のようなもの)を聞いて、そのあとサッカーの試合にいくため中抜け。妻はいさんで「オイリュトミー」の教室へ。話しを聞くと、オイリュトミーは大変面白かったらしい。家に帰ってからも一生懸命踊って見せてくれました。足の運び方、動き方、手の使い方、などいくつもポイントがあるらしい。ドイツ人なのに下手な人がいた、と妻はいっていたけれど、その教室にきた人は基本的にオイリュトミーを知らなくて、興味がある親なんだろうから、それは仕方のないことだ、と思ったりして。

 オイリュトミーはシュタイナー教育と切り離して踊ることもできるのだろうし、日本の朝日カルチャースクールのようなところで講座があったような気もするけれど、なんといっても自由ヴァルドルフ学校のオイリュトミー教室で、昔の運動会用の白足袋みたいの(わかるかな?)で踊るのが本物に違いない。貴重な体験。でもこころなしか、妻の踊りは二郎さんの「飛びます踊り」に似て見えるのであった...

先生が休むと生徒は里子に(9月4週つづき)


 小学校の先生が学校を休むと、日本では誰かが教室にきて補講するとか、かわりばんこにいろんな先生が来るとか、静かに自習していなさい、とか、まあそんなところだろう。しかしドイツは違う。クラス担任制の小学校で担任が休むと、その日の授業はなしになって、家に帰される。そう書物には書いてあるし(僕もそう書いてしまったことがあるんだけど)、お世話になっている研究所のドイツ人の先生もそう言っていた。困ったことだよね、休むっていうのはたいてい突然その日になって休むことだからね、なんて感じ。

 しかし! それはちょっと違うらしい。先日、長男の担任の先生がお休みしたときのこと、長男のクラスは4人ずつくらいのグループに解体されて、いろいろな教室へ振り分けられたらしいのだ。しかも、自分の学年とは違う学年へ行ったグループもあったらしい。これはたまたまこの日この学校でそうした方便を編み出したというのではないようだ。僕の本業のほうでやっている校長インタビューで、ある大きな学校の校長先生が言っていた。「きのうなんて先生が4人も休むものだから、そのクラスの生徒を割り振らなくちゃならくて大変だったんだ」って。もちろんその日の最後の授業の先生がいないというときは、早帰りになるようだから、推測するに、小学校で朝から担任がいないときはクラスを分割して他の学級へ割り振るのだろう。もちろん都合よく授業についていけるわけではないだろうから、とにかく教師の目の届くところにおいておく必要がある、ということなのだろう、きっと。

 先生が休むと他のクラスに里子に出されるっていうのもそれはそれで面白いやり方かも。



厳しいのか、甘いのか(9月第3週つづき)


 ちょっとまえに、ドイツ在住の日本のルポライターの人が日本とドイツの子どもを比較して書いた本を読んだ。日本の子どもはドイツに比べて甘やかされすぎている、というのが全体の主旨。そういう全体論的な比較はどうしても一面的になりがちで、あんまり共感できなかった。
 さてドイツに来てみて改めて考える。ドイツの子どもと日本の子ども、どっちが甘やかされているんだろう?といっても全体論的な比較じゃなくて、あくまで身近な経験の中で見聞したいくつかのこと。

<出場停止>
 長男が地元のサッカークラブに入って1ヵ月半。いくつかのクラブと公式にリーグ戦が組まれていて、ホーム&アウェイで来年の初夏まで戦うのだ。長男の入ったチームはいわゆる「小さいクラブ」(といってもフルサイズの芝生のグラウンドとアンツーカのグラウンドを完備しているけど)。ラグビーのようなスコアで負けが続いていた。そんなある日、やはりラグビースコアで負けたあと、コーチが主審に何か言われているなあ、とは思ったんだけど、なんと我がチームのあんまりうまくないフォワードの子がどうやら審判に暴言を吐いたらしく、「次の試合の出場停止処分」を告げられていたのだ。コーチがロッカールームに帰ってきてその子にその処分を告げると、ほかの子は「ねえ何て言ったの?」と大騒ぎ。しかしコーチは厳しく、「あいつは自分で知っている。俺も知ってる。お前たちは知らなくていいんだ!」と一喝したのだった。
 地域の草リーグ、しかも小学生に出場停止処分。unglaublich!

<も一つサッカーで>
 長男のサッカークラブはとってもいい感じで、日本人は上から下まで全部の年齢層をみてもわが長男だけなのに、居心地がいい。チームメートのお父さんお母さんもいろいろ話しかけてくれたりしてアットホームな空気なのだ。サッカーって楽しいなあと思うし、まだまだドイツ語は全然わからない長男もサッカーが楽しくて毎日が楽しい、っていう感じだ。
 それはさておき、子どもの扱いについては、ちょっとかわいがりすぎなんじゃないかなあ、と思うこともある。着替えるときとかお母さんがそれこそ上から下まで手を出していたりすることもある。試合中にころんだりするとかなり大げさなことになるし。長男が転んでひざをすりむいたとき、僕らは当然そんなものたいしたことないから早くボールを取りにいけ、と思っているのに、なぜかほかの子のお父さんにしっかり手当てされたりする。うれしいんだけど、やっぱりちょっと大げさなんじゃない?と思ったりして。

<車通学>
 長男の学校までは歩いて4、5分。郊外のそれなりに人口の多い地域で、そう遠くないところに小学校もいくつもある。おそらくどんなに遠くても歩いて15分以内に生徒たちは住んでいるはず。そんな地域なのに、朝、車で送ってもらってくる子どもがたくさんいる。一台に近所の子どもだろうか、5、6人まとめて乗せてくる光景もよく見る。どうやって通学するかは個人の自由であることは間違いないのだろうけれど。Umm...
 歩いて通っている子も、帰りがけに日本で言えば昔の「かどのタバコ屋さん」みたいなところでジュースやアイス、お菓子をかって食い散らしながらあるくのも全く普通。日本で「買い食いしてはいけません」とかいうけど、あれってどうしてなんだろう?お金の浪費になって、不良になっちゃうからか?でもカバンにお菓子入れておいて帰り道に食べるのもきっとダメだろうし。

 もちろん日本でも子どもを「甘やかす」場面はよくある。でも比較するには少なくとも次の2面は考慮しなくてはならないだろう。ひとつは、子どもたちが社会生活のいろいろな局面で受ける「甘さ」と「厳しさ」のバランスシートを考えること。たとえばドイツには学力競争のつらさはない。成績が悪い=幸福になれない、なんて等式はたぶんありえない。日本で勉強ができないのはつらい。たくさん勉強するのもつらい。子ども時代に甘やかされても、その後に続く会社員生活はつらい。満員電車もつらいし、ローン地獄もつらいし、勤務時間の長さもつらい。もう一つの面は、子ども扱い方の階層格差(いうまでもないけど)。ここフランクフルトでは小学校入学の時点で子どもの1/3は片親家庭だという。片親家庭と、両親プラス祖父母まで近所に住んでいる家庭と、子どもへの働きかけに大きな違いあるのは当然。なんて、ついまじめに考えてしまった。うちはどうかっていうと、たぶんいわゆる「近代的教育家族」っていうのだろうな。

変なお天気(9月第3週)


 9月にはいってから、ここフランクフルトはずっと寒い。もう皮のコートは当たり前。ダウンジャケットを着ている人だって決して珍しくはない。私たちの住んでいるマンションはいわゆる集中暖房だけど、もう毎日暖房が入っている。こっちの人が言うのには、ほんとうは9月はまだ夏なんだけど、今年はちょっと寒くなるのが早過ぎる、ということらしい。この季節を二度と経験しないかもしれない僕らにとっては、フランクフルトは寒い町だ、という記憶が刷り込まれてしまう。

 もっと変なのが、雨の降り方。今年は雨も多いようなのだけど、日本のように秋の長雨っていう感じじゃない。突然雨がパーと降り出し、時にはシャワーのように激しく振る。でもそういうときでさえ、空のどこかは必ず晴れていて、そこは青空なんだな、これが。で、たいていの場合、雨はやんで晴れ間が広がってくる。変な雨。

 実はもっと変なのが、雨のときのフランクフルトの人々。なぜか傘をささない人が多い。この降り方なら、日本なら絶対全員傘をさして歩くか、雨宿りするな、と思われるほどの降りでも、平然と歩く人がかなりいる。朝からそんな風に降っていても傘を持たないで出かける人も多いみたい。子どもたちも悠然とぬれながら通学していたりして、不思議。上に書いたような雨の降り方になれていて、どうせそのうちやむだろうと思っているのかもしれない。それにつけても、変な傘の差し方。

 こっちにきてから、床屋に行くのが億劫で髪を思い切り短くしているのだけれど、どこで聞いたのか長女が言うには、ドイツの雨は酸性雨だから、雨にぬれると禿げてしまうんだそうだ。日本人としては、やはり傘が手放せないな。

自由ヴァルドルフ学校の授業(9月第2週)


 ヴァルドルフ学校を選んだときから、もちろんここがあの,ちょっと変わった学校だってことは知っていた。どんな風に変わっているかというと,そもそも時間割からして全然違う。このヴァルドルフ学校は学校制度の分類上は総合制学校に入るわけだが、まあ基本的には大学進学を念頭に置いている父母が子どもを通わせていると思っていいだろう。わが長女は中1(こちらの言い方で7年生)だが,その時間割はこんな感じ。

【ここ、時間割の表ファイルが紛失していて再現できませんでした。】

 数学とか理科とか歴史とかドイツ語とかいった科目が時間割上は出てこない。これらは「その他の授業」となっているところに入っている。Uebstunde(最初のUeは本当はウムラウト)=「その他の授業」とはよく言ったものだ、と思う。日本の伝統的な主要科目とかいうのと正反対。もちろん外国語科目は別だけど。ここには芸術と共同性と手作業と言語を重んじるシュタイナー教育の哲学がはっきり表現されているのだと(たぶん)思う。詳しくないので大きいことはいえないけど。

 数学は,何しろ日本のカリキュラムの進度は速いから、長女の言うところでは,「楽勝」。ほとんどドイツ語はわからないにもかかわらず,編入して1ヶ月もたたないうちになんと授業中に手をあげて答えたよ,なんていっていた。なかみは分数の約分だったらしいんだけど,我が子とも思えぬ度胸に感心。

 こちらへきて中等学校へ編入しなければならないときに抱いた危惧の一つが第2外国語。ギムナジウムだと必須なのだけれど,そうすると長女はドイツ語のほかに第1外国語(こりゃ英語だな),さらにもうひとつを履修しなければならなくなる。だから自由ヴァルドルフ学校に編入が許可されたときも,僕はこっそり先生に頼もうと思っていた。非公式に,第2外国語を免除して,その時間も英語を履修するっていうわけにはいきませんか、って。ところが,それをまさに言おうとしたときに,長女は言ったのだった。「わたし,フランス語ってやってみたいんだけど。」そういうわけで,長女は一気に三つの西欧系言語を学ぶことになった。はたして大丈夫なのか?

  園芸の時間にはトマトの収穫とか土作り。手芸(っていうべきかどうか自信なし)は「靴作り」。自分の足の型取りから始まって,自由にデザインするらしい。もうひとつ「木工」があるんだけど,どういうわけかこれはまだ一度も開講されていない。長女はこれをかなり楽しみにしていたのだけれど。前年度の作品をみると,椅子とか竪琴とか彫像,レリーフとかのようだ。体育は、まあ体育らしいといえば言えるらしい。そしてオイリュトミー。変な踊り、とかいっていたけど,機嫌のとてもいいときは家で少しだけ踊って見せてくれた。中1ともなると全員が一生懸命踊るというわけでもないようで、やらない子,下手な感じに見える子、すごくうまい子、などいるらしい。
 ヴァルドルフ学校の授業といえば,エポック。長女の時間割ではHauptunterricht=「主要な授業」となっているのがそれ。これについてはまた改めて。


父母会 in自由ヴァルドルフ学校(9月第1週)



 商売柄、関心がどうしても学校中心になるのは仕方ない。で、またまた学校の話題。
 先日、初めての父母会 Elternabend が自由ヴァルドルフ学校であった。夜の8時から。最近我が家は子どもは9時ころ、親も10時には寝ているから、この時間はちょいときついなあ、エルム先生は確か簡単に挨拶してくださいねとか言っていたしなあとかおもいながら、いそいそと夫婦そろって学校へ向かった。
 父母会は全クラスいっせいにあるわけではなくて、バラバラ。真っ暗な校舎の中で、7aの教室だけぼわーんと電気がついていた。少し早めについた私たちは、椅子のセッティングとかを手伝って、ときどき父母たちにあいさつ。日本から着たんですね、子どもから聞いて知っていますよ、といった感じのお答えが多くて安心。
 だいたい30人くらいきたところで始まり(ちなみに一クラスは38人。公立と比べると格段に多いといってよいだろう)。いくつかのインフォメーションのような話しがあって、新しい編入生の親の挨拶へ。知らなかったのだけど、わが長女のほかにもこの8月からの編入生が二人いたようだ。僕も用意してきた挨拶をドイツ語で。自己評価としては、これは結構受けていた。そのあと全員が簡単に自己紹介したときも、「さっき日本の話しが出ましたけど…」とか「家でもNatsumiの話しが出ていて…」とかいう人が何人もいた。僕の挨拶の要旨は次の通り。
 
こんばんは、みなさん。日本からきた前原です。こちらが僕の妻です。8月から娘の菜摘がこの7aに通い始めました。エルム先生とクラスの皆さんに助けられて、ドイツ語はわからないながらも、いま毎日楽しく通っています。ありがとうございます。
 僕たちが自由ヴァルドルフ学校を選んだのは、この機会に娘に教育のオルタナティブを経験させたいと思ったからです。日本の教育、特に中等教育は、きわめて成績中心、競争中心です。「学ぶ」ことは、すなわち「覚えること」を意味しています。最近日本では多くの生徒たちが学ぶことから逃走していると何人かの教育学者は言っています。僕らの娘、菜摘もそうです。ここ自由ヴァルドルフ学校でなら、たとえドイツ語はよくわからなくても、学ぶ喜びに気づき、体で感じることができる、そうですよね?
 菜摘はこれからもクラスの皆さんにたくさん助けてもらわなければなりません。父母の皆さんにも、ご理解と支援をお願い申し上げます。


特に受けたのは、「学ぶことから逃走している」というところ(佐藤学さんの受け売りだ!)。「逃走する」っていう単語はsich fluechten (ほんとはueはウムラウト)なんだけど、この発音が難しそうな予感がしていた。flっていのは難しいし、「恐れる」っていう意味のfuerchten(これもueはウムラウト)と間違えられるかな、と。で、実際ここでちょっとつまづいたのだけど、僕の下手な発音を聞きなれているエルム先生が言い直してくれて、さらに一人の親が、「それはエスケープってことでしょう!」といってくれて、みんな了解したのだった。

 父母会の主題は、学校の校舎増築についてのようだった。要するに寄付だ。日本とちょっと違うな、と思ったのは、<ここは私立の学校だから、親たちが金を出して校舎をよくするのは当然だ>という考えがしっかり定着しているように感じられたところ。もちろん自由ヴァルドルフ学校にも入っているはずだけれど、基本的に子どもを私立学校へ通わせるということの意味が、負担とともに考えられているところが興味深い。だって、日本じゃ少し違うでしょ? 寄付金っていうと、なんだか強制的に搾り取られてしまったというようなニュアンスがありません?

 次回は自由ヴァルドルフ学校の授業など。
 
 

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